細谷紀彰の音楽遍歴(ドイツ以降)

気を抜くとすぐにブログの更新を怠ってしまいますね。

 

そして、自分で読み返してみても思うのですが、ブログの文章、硬っ!

もう少しソフトに、内容もそこまでヘヴィーでないものを書けないものかと思いながらも、音楽遍歴の話が途中でしたので、今回はとりあえず音楽遍歴についてを完結させようと思います。

 

 

ベルリン時代

 

ヨーロピアン・ジャズに憧れ続けて、遂に2010年にワーホリビザを取得して、渡独します。

 

最初にベルリンに引っ越してみて、セッションなどに顔を出しながら感じた事は、

「あれ、みんな意外とヨーロピアン的なジャズを演奏してない」

という事でした(苦笑)。

ベルリンに拠点を移す前に何度かドイツには下見も兼ねて行っており、その際には現地のライブなども見ていたのですが、ジャム・セッションとなると、皆ほとんどスタンダードばかり。そして、本当に正直な所、そこまで極端にレベルが高い訳ではない事にだいぶ肩透かしをくらいました(笑)。

後になって分かったのですが、German Jazzの中心地と言えばケルンだったらしく、ベルリンはそういう意味では異質な場所だったのかもしれません。とは言え、ベルリンはドイツの首都ですので、ジャズ・シーンの大きさだけで言えばケルンよりも大きいのだと思いますけど。

 

そんなこんなで、思い描いていたようなベルリン生活からは最初の時点で大きく外れる事になるのですが(笑)インターナショナルな街という事もあって、色々な国の人と演奏する機会に恵まれました。最初の年には、プログレバンドでZappanaleというフランク・ザッパ・トリビュートのフェスにも出演しましたし、アフリカの母国語(何語かは失念)でのアフロ・ラップでも演奏したなぁ。

 

それから、徐々にではありますけど、ジャズ系の知り合いも増えてきて、ドイツでFalk Bonitz Trio、Damir Out Loud、そしてRachelle Jeanty & the AfroJazz Experienceが出来たのは、本当に自分にとっての大きな財産だと思います。

Rachellのバンドでは2011年からMD(Musical Director=バンドのまとめ役、音楽的ディレクションやステージ上でのキュー出し等)も任されていたので、これも本当に良い経験でした。

実は、カバーバンドの仕事でちゃんとFunkやR&Bを消化したのも、渡独後でした。

2014年頃からそういう仕事も増え、プレベも手に入れ、Top 40や所謂昔のモータウンやDisco Classicsなどのレパートリーもしっかりと勉強し直して、これ以前と以降で僕自身だいぶグルーヴの捉え方、ベーシストとしての立ち位置が変わった気がします。

自分の専門分野でなかった事にもチャレンジしてみるものですね。お陰でプレイの幅が本当に広がったと思います。

 

あと、2015年にはオーケストラとも共演しています。その際に立ったステージが、ベルリンの中でも有名な野外ステージWaldbühne。StingやPaul McCartneyも立ったステージで自分史上最大の集客(正確な数は不明ですが、おそらく15000人〜20000人?)の前で演奏するのは、緊張しましたが楽しかった〜!

ヨーロッパ在住中には、アメリカ時代よりも強く自分の「ルーツ」や、日本人としてのアイデンティティを意識する事になりました。

 

例えば、アフリカ出身の友達は、いつでも、どんな時でも自分の国の音楽を歌えたり、すぐにギターで弾けたり、プレイにも出身国の匂いというか、独特のリズムが現れているんです。

ドイツに多いトルコ移民の人たちも、自分の国の文化に誇りを持っているのが分かり、自国の音楽をちゃんと歌えます。

それが、ヨーロッパの他の国の人然り、アラブの国の人然り。

そのような事を僕自身が振り返ってみた時に、自分は日本人としての「アイデンティティ」がしっかりあるのだろうか?という事を、強く考えるようになりました。

 

例えば、僕が主に演奏するようなコンテンポラリー・ジャズは、元々チャーリー・パーカー以降のモダン・ジャズを発展させていって現在のような形になった、と言えます(随分と省略した説明ですみません)。その中で、僕自身がジャズを演奏する時に日本人として、日本のフレーバーを入れようとしているか、と言えば確実にNOな訳で。

もともと現代の日本人は、自分のアイデンティティが希薄(=それを意識せずとも生活できているという事なので、ある意味社会としては恵まれた事なのかもしれませんが)な人が多いと思いますので、音楽に限らず難しいテーマだと思います。これについては未だに僕も模索中ですが、このような事を考える大きなきっかけになったのがベルリンというインターナショナルな都市に一定期間滞在出来た、という事が大きいです。

どれくらい滞在出来るかな、と思いながら、結果的には6年滞在しました。

2017年5月現在、未だに高校を卒業してからベルリンがいちばん長く滞在した都市です(ボストン4年半、東京4年+1年、ベルリン6年)。

 

ヨーロッパ時代は、懐かしいですし、生活するなら絶対ドイツの方がのんびりしていて暮らしやすいですけど、自分の演奏する音楽の状況については日本の方が恵まれていると思うので、帰国した事に悔いはありません。

ただ、もうちょっと日本でも英語とドイツ語を忘れないように、喋れる機会を増やしたいですね!

えっ、結局ヨーロピアン・ジャズはやったのかって?……僕らがイメージするようなヨーロピアン・ジャズは、結局やらなかったかもなぁ。笑

でも、その中で唯一自分がメンバーを集めてレコーディングしたこれ↓がもうすぐ出ます。これについてはまたしっかりと書きますので!!

 

本帰国後、2度目の東京(2016年〜)

 

という事で、帰国して、再び東京へと居を移し、日本で音楽活動を再開しております。

 

現在、自分名義のプロジェクトが2つもあり(Noriaki Hosoya Far East Quartet、Noriaki Hosoya Trio Watercolors)、それに加えてベースデュオや、他のピアノトリオ、ギターカルテットなど、多岐に渡る演奏をさせていただいています。

 

バークリーから帰国した後の東京生活と比べると、今の方が圧倒的にジャズのライブが増えました(笑)。

また、自分の中での経験値も当然ながら上がっているので、以前よりも自分に自信を持って演奏出来ていると自分では思っています。

 

今年は有り難い事に色々とリリースが続くと思いますので、僕にとっても重要な年になりそうです。今後どうなっていくのか、自分でもなかなか分からないですが、自分の好きな音楽を皆様にもたくさんお届け出来るように頑張っていきたいと思います。

 

 

これにて僕の音楽遍歴、一旦終了としたいと思います。長かった〜!

Noriaki Hosoya

Born in Japan, studied at Berklee College of Music Boston, U.S. and has been active in Europe, now lives in Tokyo, Japan.


Playing Jazz to Funk, Pop to Latin, elastically fit with any kind of music with keeping his identity as a bass player.


"His playing is very sophisticated; solid & tight and really melodic at the same time. He lets the bass singing"

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